runt51502006-03-25

さっきふと考えていたら、20年前の今頃に僕はベースを弾き始めたんだったな、という事に気が付いた。1986年に高校に入学して、そこで知り合った連中とバンドをはじめる為に、安物のYAMAHAのベースを地元の楽器屋で買ったんだよな。そのベースが僕にとっての初めての愛器、という事になるのだが、その初代愛器は今は僕の手元には無い。横浜のアパートを引き払って帰郷する際、友人に譲ったからだ。
もしかすると僕は楽器そのものには全く愛着を持たない人間なのかもしれない。何故って、今まで手にした楽器の半分以上は既に僕の手元を離れてしまっているし、今使っている楽器にしても、「これじゃないと駄目なんだ!」という物は一つも無いからだ。勿論気に入ってはいるのだけれど、これこそが自分自身の分身だ、と思えるほどの思い入れは持ってはいない。だから記念すべき一本目のベースも友人に譲ってしまったんだろうな。
でも矛盾する事柄なのかもしれないけれど、自分が大好きなアーティストに関しては「この人はこの楽器を持ってないとなんだかしっくりこないなあ・・・」と考える性質で、その人自身とその人が使っている機材を同一視している感がある。先日ショックだったのが、僕が一番大好きなギタリストのGary Mooreが、彼のNo.1とも言えるであろう1959年製のGibson Les-Paulを売却した、というニュースだった。名曲中の名曲の「パリの散歩道」はこのギターでレコーディングされている訳だし、僕以外のGaryファンにとっても「Gary=59年Les-Paul」という図式は間違いなく当て嵌まるだろうから、同様にショックは受ける事柄なのだと思う。
でも考えてみると、僕がベースを手放した理由の一つは「もうこれを弾く事は無いだろうし、弾かないでそのままケースに入れっぱなしにしておくくらいなら、弾いてくれるかもしれない誰かの許に置いてある方がこのベースにとっては良いかも」という物だった。Garyのギターもかれこれ40年近く酷使されてきた訳で、近年は手にしている姿もめっきり見なくなってしまったから、もしかすると本人としてはリタイヤさせてそのままホッタラカシ、という状況は忍びなかったのかもしれない。確かにイメージとしては大きな存在意義のあるギターだったけど、彼の場合、どんな安物のギターを使おうがいつも極上のトーンを引き出す事が出来る人だから、その時に一番取り回しの良いギターが手元にあればそれでOK、と言う事も可能だろうし。